キャラクター制作プロデュース・イラスト制作
北九州市 在住
手描き仕事に特化したイラストレーター。ロゴデザインもキャラクターも販促物も手描き手作りの職人としてAtelier Shido主催。
これまで描くこと全般何でもやってきました。
この度アニメーター、イラストレーター、似顔絵師としての経験をミックスしたキャラクターイラストによるブランディングを柱として、このホームページを立ち上げました。
<主な作品>
「陽当たり良好」「小さなスプーンおばさん」「OVA県立地球防衛軍」「Queen of Duelist1,2(格闘シーン原画)]
「陽だまりの樹」
▪専業7年の後、原画の演技力のためにも人生経験を積めという師匠の言葉に従って、1年の予定でフリーに。3つのアルバイトを掛け持ちしながら、アニメーター、イラストレーターを兼業。
▪1年半後、イラスト業に転身を決め、科学出版物制作のデザイン事務所SET SQUARE1に入社。イラスト、デザイン、版下制作
ライティング等多くを学ぶ。最初期のゆとり教育の教科書制作にも関わる。(アニメーター、占いライター兼業)
▪DTP過渡期であったが、手描きを通したまま東京から長野へ移住。引き続きSETSQUARE1から仕事を受け続ける。
▪フリーイラストレーター、フリーアニメーター(OVA、ゲーム等)、通信占い師をしながら山の中で二人の子育て。
▪友人の営業マンの販促チラシのために毎月似顔絵キャラクター・イラストやカットを描く。
▪土井たか子氏、鈴木瑞穂氏、今井澄氏等の名刺用似顔絵や冊子のカットを描く。
▪教科書関連イラストカット他、書籍挿し絵多数。
▪エンターテインメント大型リサイクルショップ万代書店上田店イラスト看板部4年半
600坪の店舗内13部門中10部門のイラスト看板担当(アニメ、コミック、各種カードゲーム、DVD、カジュアルブランド古着、雑貨、アミューズメント、おもちゃ、フィギュア、家電)メインビジュアルやキャラクターの片切看板を得意とした。
▪北九州に帰郷、クラウドソーシングを手始めにフリーイラストレーター、似顔絵師として活動再開。Macを使い始める。
イベント似顔絵、オリジナル塗り絵、ロゴ制作、イラスト看板、カットイラスト、ウエルカムボード、イラスト指導等多数。
▪阿座上塾の講師陣の似顔絵キャラクターイラスト画像。
▪Ustream番組「GOOD JOB! TV!」のMCやマスコットキャラのイラスト担当。WEB、販促、番組タイトル等。
異業種交流会でのゲストの似顔絵描き。SNSプロフィール似顔絵イラスト。
▪誰でもキャラクターに、どこでも何でもゆるキャラに!をモットーに、キャラクター制作多数。
個人やサービスに寄り添ったきめ細かな制作スタイルとアフターサービス。長く使ってもらえるように。
▪下関市の地元ヒーロー・海峡戦士タイガーフークさんの初期のキャラクターイラスト制作協力。塗り絵、紙芝居なども作成。
▪門司港レトロ海峡プラザ二階、宮崎県内モナコパレス各店、北九州市内外各所で定期的に似顔絵描き。
▪地域連携型コミュニケーション・クリエイション・カフェ黒崎よつばにてイラスト、似顔絵、ワークショップ、看板等多数。
▪分冊百科デアゴスティーニの「週刊日本の神社」イラストマップ内ミニイラスト担当
▪2017年よつば改め地域拠点型シェアリング・スペース黒崎Yakataを新たな本拠地に再始動。活動を拡大。
経験を活かしたメディア往来な発想と技術で、キャラクターコンテンツのプロデュースを提案、個人起業家、個人商店を中心に小規模でもキャラクターでイメージ戦略とブランディングを構築、活用できるように制作致します。
「描く」人生を貫いてきた人生ですが、私はデザイン事務所に所属していたときも今に至るも「手描き」職人です。
デザイン事務所の社長で師匠は手描き細密イラストとエアブラシの達人でしたが、Macが日本で解禁される前から98で3DCGを作るような時代の先端を行く人でもありました。Mac解禁と同時に社長は500万をかけてMacでDTPを実現するシステムを組みました。3人ポッキリの小さなスタジオに2台のMac、A3サイズのスキャナーとインクジェットプリンタ、アドビのソフト。
致命的に機械音痴の自分を自覚したのはその時です。
複合コピー機と小部屋ほどもあるドイツ製の紙焼き機はなんとか触れていたものの、パソコンの扱いはなかなか慣れず…どころか、僅かの間に3,4回も爆弾アイコンを出して社長を震え上がらせるはめに!
「お前は手描きでやってなさい!」と、引導を渡されてしまいました。今ならありえない話でしょうが、その当時はまだまだ印刷文字は写植屋頼み、紙に版下を製作する時代でした。すぐに過渡期となるのですが、その後東京を離れて長野で結婚生活を送ることになった私は、そのまま手描きを通してしまったのでした。
アニメーションの作画や、似顔絵描き、SET SQUARE1から仕事を受け続けていたため、あまり不自由を感じなかったこともありました。やがて、地元の大型リサイクルショップでイラスト看板を量産するに及んで、世紀をまたいで手描きイラストレーターの仕事は続いていったのでした。
やがて生まれ育った北九州に子どもたちを連れて帰って来たとき、手描きイラストレーターが地方で職を得る本当の大変さを思い知ることになったのですが…
それまでやってきたことをすべて合わせ、更に焼き絵やハンドメイド技法(手描きデコパージュやステンシルシート作成、絵手紙など)、イラスト教室やワークショップ…と、パソコン導入後もますますアナログな展開をして今日に至りました。
常に原点にはアニメーションへの思いがあったのですが、なかなか一人でできるものでもないと半ば諦めていました…が、時代の進歩はいつしか、あれだけ機械音痴だった私にもパソコンで色を塗ることを可能にし、キャラクターイラスト画像を作れるようにしてくれただけではなく、そのキャラクターを動かして見せることさえできるまでにしてくれたのです!
それに気がついたときは、本当に信じられない驚きでした。初めて自分が描いた動画を動かすことができたのは、ほぼ無料のアプリ、iPad Proの10.5インチの画面の中。
本当に技術の革新は素晴らしい。フィルムの時代からパーソナルアニメーションを作る人はたくさんおられましたし、今では誰にでもGIFアニメーションが作れます。
でも、まさか私が一人で普通にリミテッド・アニメーションができるとは思えなかったのです。機械やアプリの力を借りてはいても、TVアニメーションと同じ手法のアニメーション動画を自力で作れたことは、大きな変化でした。
ただの繰り返しや単純な動き以上のアニメーションを思い通りに作る。それが私のやりたかったことの一つ。アニメ業界に戻ることはもうないとは思いますが、思い描いていた可能性が現実のものとなったのです。
egaku描く=仕事であり、コミュニケーション手段でもあり、私の唯一得意な自己表現でした。
自分のためから人のために。誰かを喜ばせることが生きてる実感。仕事である以上、そこには守るべき誓約もあり、求められる以上のクオリティを持って仕上げるのがプロであるべき。
…ゴリゴリ力を入れて仕事してきました。
二人の師匠に叩き込まれた職人魂は骨の髄まで染み込んでいます。描いても描いても終わらない大量の仕事をこなす日々でした。
業界を離れ、真のフリーランスになって数年、時代も変わり、文化は世界どこでも携帯するもの、つながるものになりました。
ヴァーチャルな世界に遊ぶのはサイバーパンク小説の中だけのことではなくなりました。
かつては大企業や一部ジャンルのものであったオリジナルキャラクターによる企業イメージ戦略も個人のものになろうとしています。アイドルが地元で会えるどこにでもいる存在になり、誰もが自分カルチャーを世界発信できる今。
イラストレーター、アニメーターも業界の外で活躍する道が開けました。
白紙から描き出すように…創り出す力で、当工房はイメージと個性を形にするキャラクター・ブランディングをご提案します。
あなたを…個性を…サービスを…商品を…事業を…活動を…より親しみやすく共感を得られ愛されるキャラクターとして、制作します。ユーザー、リピーター、顧客というファンとつながるために。
すべての人をキャラクター(アバター)に、あらゆるイメージを形にいたします。
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